てぃーだブログ › 福岡での長閑な日々

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Posted by TI-DA at

2020年06月18日

病院で働く

この4月から転職してした。してしまった。。
自分の人生の中でも、ワーストになるかもしれないくらいの出来事だと思う、。
まさか、1年前、半年前、今の職場の採用試験を受けた時、転職を決めた時、この世の中がこんなにも大きく変化するなんて考えもしなかった。

まさに未知の世界にいるように思う。
世の中は、諸行無常。。変わらないものはない。
最近、仏教の本を読むようになったが、今の時代にこの諸行無常という言葉が響くことはないと思う。

明日、1か月後、2か月後、3か月後の未来がわからな。
半年後の世界なんか、さらに見当もつかない。

実際、自分のことになってしまうが、6月の出勤回数はたった2回だけ。
なんだか自分自身がむなしい。。社会の役になっていない。。悔しい、悲しい。
勤めていた病院の仲間は必死にコロナと戦っているのに。。。
自分は逃げてしまった。
転職して、違う業界に行ってしまった。
自分自身が情けない。

自分の選択は間違っていた。。。
転職すること自体は間違ってなかったとしても、病院を離れたことは。。。

自分の選んだ答えを正解にしないといけないとはわかっている。
でも、今の自分はそれができない。

唯一いえるとしたら、この世界になったからこそ、自分は「病院で働き続ける」これを決意した。
何があったとしても、東京の病院で働く。
職種はまだわからない。
個人的には、地域連携がいいと思う。できるのであれば救急患者の受け入れをしたい。
もしかしたら、医事課にいるかもしれない。
もしかしたら、またMSWとして働くかもしれない。もしMSWとして働くのであれば、おそらく療養型病院になると思う。

なんか、こうやって書いていると、どんどん自分の欲望の深さに気づいてしまう。
本当は、仕事があって、生活ができるほどの給料をもらえている。
そして、こうやって東京で生きて、朝が来て、目を覚まして、生きている。
自分が住みたい街で生活して、生きている。

これがどれほどありがたいことか、自覚しなければならないと思う。
5年前、地元にいたときは、地元に閉じ込めらているように感じて苦しかった。
上京して、東京で過ごしている1日1日がどれほどありがたいことか、貴重なことであるのかを知らないといけない。

でも、、、、もう一つだけ夢がかなえられるならば、また病院で働きます。
東京の病院で。
これま自分の確定した未来。。

とにかく、私は病院ではたたきます。
1年後、必ず病院職員として働く。
これは自分の運命だ。

この世界で、病院を離れてしまった。だからこそ、自分は必ずまた病院で働く。
がんばれ。  


Posted by masa223 at 19:17Comments(0)仕事のこと

2020年03月11日

上京してから

東京に出てきてもうじき4年になります。早かったようでゆっくりだったようで。不思議な感じです。
今でも東京タワーや新宿の高層ビル、明治神宮なんかに行くとなんとなく心がどきどきします。
そもそも東京に来たきっかけは、大学受験とちゅらさんでした。

「ちゅらさん」のなかで主人公が那覇からふるさとの小浜島に帰ってきた時に東京に行きたいと宣言するときに言ったセリフ「小浜に来てなんかわかった気がする。どうして東京に行きたいのか。小浜はいいところだよね、とってもいいところ。大好き。でも、那覇に住んでで、それで帰ってきたから余計にそう思うんだと思う。外に行って、そこで暮らしてみて、本当の沖縄のよさとかさ、そういうのわかるとも生んだよね。沖縄のよさもさ、うちの家族のよさも、もっといいなーって。ずっとそこにいる人より思うんじゃないかなーって思う。」

これを聞いて、受験のときになぜ福岡にいる選択をしたのだろうと正直に言って、悔やんだこともあった。。。
そして大学の授業の合間には外の世界とつながりたいと思って、福岡空港にふらっと吸い寄せられて行ったりしてました(大学から空港まで電車で1本20分でした笑)。そして、出発ロビーの今はなくなったけどパタパタ式の案内表時期を見て、いつかここから自分も東京に行ってやると思いました。そしていつしかアルバイトも空港でするようになってました。。。

実際に東京に来てみて、目の前に自分が憧れていた光景があって(今ではだいぶなれたけど)、いまだに夢の中にいるみたいで不思議な気分になります。
そして何より、福岡に帰る、といえることがうれしいと思ってます!
小さいときは祖父母と同居していて、テレビで「おじいちゃんの家に行ってきた」とか言う帰省ラッシュ・Uターンラッシュのニュースが流れると、羨ましいなとーと思っていました。。。
そして、地元に居るときは自分が「居る場所」と「帰る場所」が同じように感じて、そもそも帰るべき場所に自分が居たら帰る場所が作れない。
どこかに帰りたくてもどうすることもできないよなーとか、考えていました。それで、すこしでも地元から離れたところに行きたくて、大学が休みの時には海外旅行に出かけたりもしていました笑。

だけど東京に出てきて自分が居る場所と、帰省できる場所を作れたことで、そして、たまに年に1.2回地元に帰る機会を持つことで、「それまでがんばろう」と思えます。東京で過ごしていることを楽しんで、そして偶に帰ることを楽しみたいと思います!

最後に、これからもずっと、学生のころから住みたいと思っていた場所、東京・雑司が谷(ちゅらさんの東京での舞台)で生きていきます!!  


Posted by masa223 at 18:52Comments(0)

2020年02月08日

ついにそのときが

忘れもしない、2019年11月2日(土曜日)、課長に呼び出され、個人面談。

リハ病院へ半年間手伝いに行けというもの。。。
社会人としては、上司の指示に従って半年間出向することが常だと思う。
でも、半年後に自分が今の職場に戻ってこれるとはえなかった。自分がいなくなって、戻れるスペースはないと思う。
これは、きっと神様かr次のところに行きなさいといわれているのではないか。とも思った。
ずっと、気になっていた職場がある。今年の目標としていたTOEIC の点数は取れた、上司からの異動の通達、気になっていた職場の求人、すべてがそろったのがこの11月だった。
自分の中で少しは迷いがあった。5年はmswとして働いてケアまねへステップアップしようかとかも考えた。
でも、自分の考えを抑えることはできなかった。
  


Posted by masa223 at 23:23Comments(0)仕事のこと